やおきちの水商売奮闘記!>初めての水商売!


初めての水商売!


第1話 初めての水商売

高校を卒業して・・・田舎から上京してきました。

世の中は好景気(バブル直前)フロムAのアルバイト情報誌は
電話帳ぐらいの厚みがあり、仕事は選り取りみどりでした。

大学をあきらめ、専門学校行く気にもならず・・・
将来のビジョンがないまま、ただ東京で生活する為に
様々なバイトをしました。

なにをやっても・・飽きっぽく続かない
そんな生活で月日が経っていました。

(このままじゃ ヤバイ)

お給料が入れば 入っただけ 友達と遊び
何も 進歩しない自分に気づいた 夏の終わりに

実家にTELしても 勝手に飛び出したせいか
《がんばって生活しているよ》と言葉で安心させるのが
精一杯で本当は・・・自分にあせっていました。
そのとき 初めて親から 『親戚』が近くに住んでいることを
告げられ その人と逢って私の《水商売人生》がスタートしました。

第2話 叔父さんにビビル俺

両親は東北の田舎で生活しています。
やおきちは東京産まれの 東北育ちであります

小学校4年の頃 家を借金で失い
母親の田舎へ 逃げるように引越しました

その昔 両親は大久保(新宿)で料理屋を経営していました

経営も順調であったにもかかわらず・・・
なぜ店を手放したのかは次回書くとして

親父は四国の人間です その親父の弟に
上京してから 逢いに行きました

その叔父さんことS叔父さんは
若い頃から池袋・大塚近辺で水商売をやっていました

まだグランドキャバレーが全盛期の頃・・・
とある会社の統括部長として・・・
何店舗も立ち上げては成功させては


25歳の時 すでに
オーナーからベンツを買ってもらったと言うほどの
『ヤリ手』でした

しかし20代 後半の頃 
大塚で チンピラに絡まれ 腹をナイフで刺され
命を落としかけたそうで・・・

全身に黄疸が出来 危篤状態であったと両親から聞いていました。
そんなことを聞いていたイメージから

逢うのも疎遠でしたが 東京で『箸にも棒にもひっかからない』
だらしない私は 夏が終わろうとした頃

巣鴨の とある24時間の 指定された怪しい喫茶店で
待ち合わせすることになりました。

少し早めに行って・・・S叔父さんを待つことにしました
店内は 夜と言うこともあって まともな人種は皆無でした

同伴の待ち合わせ、ポケベルを見つめている挙動不審なお兄さん
談笑しているヤクザ、化粧がヤバイ ババア・・・

その風景に マッチするがごとく 全身白のジャージ姿の
S叔父さんがやってきました・・・

親父よりも15歳も若く(一番下の弟)
東北のなまりしか聞いたこと無い 18歳の若者にとって

聞いたこともない四国弁・・・

とても身内と思えない 恐怖の出会いでした。続く

第3話 『水商売へ入るための準備』

身内なのに、なぜか和やかな雰囲気になれない
S叔父さんの怪しい出で立ちにのまれ
萎縮してしまった私は『蛇に睨まれた蛙』状態であった。

上京までの簡単な経緯を話し・・・
自分の将来の計画のなさ・・目標もない 自堕落な思いを
自分自身がイヤになっていることなどを
S叔父さんに告白した

笑顔で話を聞いていた S叔父さんは

『このまえ兄さん(親父)に頼むと言われたからなぁ』と

『じゃあ 俺の所で働くかぁ』と私を誘ってくれた

(・・・俺の所?) 

と言われても 仕事内容がわからないまま
私はためらいもなく『宜しくお願いします』と頭を下げてしまった

そして1週間後の再会を約束して 喫茶店を後にした。
そう 私には環境を替えたいと願っていたのには理由があった・・・

4月に上京しての5ヶ月間 というものは 実に無意味な年月であった

田舎がイヤで東京へ バイト代で貯めた300000円は
一ヶ月でなくなり 食べる為の日払いのバイトが余儀なくされた。

仕事の種類はいっぱいあったものの
交通整理やら冷凍工場のバイト・どれをとっても
つまらない仕事のオンパレードで・・・仕事が終わっても
楽しくなくてどうしようもなかった 

東京で暮らすにはお金がかかる そんな当たり前なことすら
楽観的に考えていたのが間違いで・・・

住むところは家賃3万円のサンシャイン60の影でまったく
日の望めないボロアパート 家賃3万円を探すのでさえ大変であったのに
しかも田舎であれば、8畳新築風呂トイレ別であろう・・・
そのボロアパートは4畳半のトイレ共同 もちろん風呂なしという
やる気をそぐ 部屋に住んでいたのだから よけい気分も滅入る
そんな生活であった

上京3日目の夜
バイトの面接から 帰ってみると
窓ガラスが割られ、地元の悪友が3人も家で待機していた

(窓から侵入するのが平気な 友達・・・)
こいつらも何しにきたのか?まぁ私と同じで 田舎でやることが
ないからであろう・・・

結局 その3人はずっとこの部屋に住み続け
定職も定まらないまま、時だけが経つのであった。

3人とも地元で遊びすぎて もちろん就職先どころか
せまい田舎でバイトすら 出来ず 私の噂を聞きつけ
後追いしてきたのだが・・・大都会に来てまで

『今日は渋谷で喧嘩してきた』とか・・・
『ナンパしたコがシャワー浴びている間に財布から抜いた』
なんて自慢しあっている どうしようもない奴らなのに・・・

その頃は普通に付き合えていた

まさに『類は類を呼ぶ』悪循環スパイラルに嵌っていることなど
そのときは微塵にも感じられず・・・スタンドバイミー気取りな
馬鹿な自分がそこにはあった。

そんな彼らとは部屋を解約した時から 連絡も取り合っていない
本当の友達ではなかったということ

1人だと我慢すればお金を節約できるのに、18歳のガキが
4人も暇を持て余せば良いことなどない

そんな状況を打破するために 私はS叔父さんの部屋に間借りすることに
決めたのである・・・

予断だが10年後にたまたまこの場所に来た事がある
しかしとても思い出に浸れる場所ではなかった。来なきゃよかったと
後悔した


秋にさしかかろうとした時
S叔父さんの家に荷物を入れ そのまま メシを食いがてら
『おまえは 今日から パブをやってもらうからと言われた』

(パブ?・・・)

『水商売って奴だよっ!まぁ実家には内緒しておけよ』
水商売は恥ずかしいことなのか・・・
隠さなければいけない仕事をすることになったのである(続く)

第4話 『店舗見学』

夜9時頃、自分の働くお店を見学にいくことに・・・

(かなり 心配っ・・・)

駒込と田端にそのお店『R』はあった・・・

自分は駒込のお店を手伝うことになった。
いやっ 駒込のお店をやることになった・・・

お店をのぞくと、半分くらいであろうか 席は埋まっていた。
ホステスさんは16人

日本人が6人・フィリピンのコが5人・中国のコが5人という
ありえない MIX PUBであった・・・

ホールの男子 この人が店長なのか?(20歳半ば)
に挨拶をする。

『明日からお世話になります。やおきちです 宜しくお願いします』

すると覇気のなさそうな そのスタッフの人は
『ああ こちらこそ宜しく!1週間でうまく引き継いでもらうから』

(????????)

1週間後に辞めるらしい・・・その時に知った

そうなると・・・・オレは明日から
初めての水商売をはじめ さらに1週間後に ホールをまかされ

しかも18年生きてきて 初めて遭った 異国のコ

一人でさえ大変なのに
こんなに 女性を管理することができるのであろうか?


本当に大丈夫なのか???

何事も気楽に考える馬鹿なオレでさえ
久々に不安を覚えるほど、イヤな予感した

第5話 お店の印象

《翌日》
目がさめると 見慣れない風景に一瞬ドキッとした
(そうか 今日からS叔父さんの家にお世話になっているんだ)

窓から見える綺麗なオレンジの光は
いつもは朝焼けなのに 今日からは夕焼け・・・

そう オレは今日から 水商売人になるのである

夕方にに起きて、朝方帰り 眠りにつく

水商売の生活はそんなものであるが
その生活スタイルも慣れればそんなに苦ではない

ましてや18歳の若さには 朝寝て夜起きようが
全然疲れも感じないし・・・肌のトラブルに合うわけではない

それなら3勤交代のホテルマンや
1日24時間勤務して次の日が休みなんていう
タクシードライバーの方がよっぽど大変そうである

ベッドから飛び出して(誰のベッドか定かでもないが・・・)
いつものTシャツとジーパンに着替える

人の気配がしない テーブルには鍵が置いてあった

S叔父さんは外出中であったみたいで・・・
オレはシャワーを浴びて 時間早めに 家を出た

期待と不安が入り混じった 初日を迎えたのである

S叔父さんの家は
駒込といっても巣鴨よりなので・・・
巣鴨の駅がもより駅である・・・

上野と池袋の間の街『巣鴨』は
繁華街でもなく 下町という感じも見受けられない
なんか中途半端な街という印象であった。


人のよさそうなおじいさん・おばあさん
会社帰りの人、スーパーの片手のご婦人
学生さん、そして怪しい呼び込みの人やアジアンなオトコ達が
家路やらなにやらで・・・駅前はにぎわっていた。

現在もおばあちゃん・おじいちゃんの原宿とまで言われ
土日はお年寄り天国の『とげぬき地蔵』と

当時は ネオンギラギラ
全国屈指のピンクサロンのメッカ(50店以上はあった)が
道路を挟んで対峙していて(今はピンサロも激減であるが・・・)

なんとも形容できない 

歩けば歩くほど 巣鴨は不思議な街という印象のイメージに尽きた

(さすがに今はなんとも思っていないが・・・)


6時が出勤時間ということなので
5じ30分にお店に行くと まだ誰もいないみたいで鍵がかかってあった。

5分くらい時間をもてあましていると
後ろから声をかけられた
『やる気マンマンだな おい』
昨日のホールの男の子が
にたついた笑顔で話し掛けてきた。彼は25歳
見た目もっと若く見えるが・・・精神的にも若そうな感じがした

彼の後について真っ暗な店内に入る・・・
店の電気を全開につけると、キラキラしたソファーとイスが
目立った、営業中のムーディーさとはかけ離れた 風景が
目の前に飛び込んできた。

席数は30はあるだろうか・・・15人のホステスに、ボックス以外の
丸イスまでいれると 20〜30人は座れるくらいの広さであった。

(ここをひとりでやってきたんだぁ・・・)

感心しながら 先輩を立ててみると・・・

『まぁ 入っても すぐ辞める ふぬけが多いからな この業界』
と得意そうに 返事が返ってきた

何の理由かはわからないが 1週間で辞める予定の先輩から
仕事の流れを教わった。おしぼりまきやら、グラスセッティング、
開店前の準備である。

7時が開店時間であるから15分前には着替えて臨戦体制に
なる。 何人が履いたのかわからない汚れた黒ズボンと
生地の粗悪な白シャツ、黒い蝶ネクタイを渡され着替えたオレの姿は
ホステス用 全身鏡で見る限り・・・

売れないコメディアンに見えた・・・滑稽である

選択肢のないオレは、違和感を覚えながらも
先輩に呼ばれ ホールまで呼び出された

トレンチの使い方と伝票とテーブル番を覚えさせられた
 その他最終確認である。

『とりあえず 笑顔は絶やさないコト 当たり前だけどな』
気楽に構えてと優しく くわえタバコで接してくれる先輩

がしかし・・・

セッティングされた灰皿を なんの気なしに使う 先輩に・・・

(もう営業始まるのに この人 だらしないな・・・)

出遭って 1時間 まだホステスどころか 調理スタッフも
レジさんも来ていない・・・この人と2人だけなのに

オレは直感的に

なにかこの店 雰囲気がおかしいと思い始めたが・・・

まったくもってスキルも経験値もないオレに
読み取れるスキルはなかった(続く)

第6話 統一感ゼロのホステス達

先輩ツラしているけど・・・
なんかだらしなく 仕事の覇気ない 先輩がしきるお店

(どうして ここでオレが働くのだろうか?)

S叔父に手伝ってといわれた時は、一緒ではないにせよ
少しくらいは 仕事のイロハくらいレクチャーしてくれるのかと
思いきや・・・結果はほったらかしで?

不安と不信感でありながらも もう後戻りの出来ない状況に
もっていかれたみたいだ
(いきなり 引継ぎなんて・・・)

7時 3分前 から8時くらいをめどに 続々と
ホステスさんが出勤してきた。

「挨拶」は人間としての基本なのに・・・
好奇な視線で見られているような気がした。

オレは 着替え終わった ホステスが待機しているコーナーに
今日から働くことになったことと挨拶をかねて自己紹介した

ここのお店のコは15人ほど
前にも書いたが、日本人・中国人・フィリピン人とまったくもって
バラバラなホステス達なのであった

オレは高校出るまで 東北の田舎で育ったので
実は「外人」としゃべったことが無かった
ひとりで緊張していたのだが・・・片言でも
日本語を聞いた時 少しは安心できた。

この日の口開けのお客さんは8時45分で
お客が来るまで、皆待機していて

その光景を眺めていたオレは
人種による国民性にカルチャーショックを受けた

日本人のコ達は 一目みて 皆若いコたちで・・・
専門学生といっていたが高校生でも通る感じがした

待機席では タバコを吸いながらバカ騒ぎしていた。 

フィリピンのコ達は みんな笑顔で話ししてくれた
しかも皆優しく 接してくれて

そのうちの一人は既婚者(といっても22歳)で
ファッション雑誌から飛び出たようなスーパーモデルのコで
このコの旦那は毎日 来店していた。
しかも毎日 フェラーリで送り迎え
毎日 家事手伝い というのはイヤだということ
自分で稼いだお金は送金しているのだろうか?

中国のコ達はなんら普通のコもいたが・・・

毎日指名もらっているYちゃんは明らかに プライド高そうなコで
まったくもって オレの言うことなどシカト

そんな人達の ホステスのラインナップで本当に困った。

当然そうなると 国ごとに派閥になっていて・・・

例えば団体のお客が来て 日本のコが4人着いて、残りのお客さんに
中国のコをつけようとすると拒否されたり

なんとか同席に成功しても
会話のキャッチボールなんかまったくなく

どっちかが歩み寄る状況がある訳もあらず

そんな理由からか ひとつのテーブルに
わけ隔てなく接客させることは 無理であった

そんなバラバラなお店なのに・・・
1日に20〜30くらいのお客さんが来店していた

その原因は「バブル突入時期」だだからとしか言いようの無い
好景気が一因だと思っている

そして あっと言う間に1週間が経ち 頼りない先輩は
気持ちよく去ってしまい オレがホールに一人という
最悪な環境に突入した。(続く)


第5話 お店の印象

《翌日》
目がさめると 見慣れない風景に一瞬ドキッとした
(そうか 今日からS叔父さんの家にお世話になっているんだ)

窓から見える綺麗なオレンジの光は
いつもは朝焼けなのに 今日からは夕焼け・・・

そう オレは今日から 水商売人になるのである

夕方にに起きて、朝方帰り 眠りにつく

水商売の生活はそんなものであるが
その生活スタイルも慣れればそんなに苦ではない

ましてや18歳の若さには 朝寝て夜起きようが
全然疲れも感じないし・・・肌のトラブルに合うわけではない

それなら3勤交代のホテルマンや
1日24時間勤務して次の日が休みなんていう
タクシードライバーの方がよっぽど大変そうである

ベッドから飛び出して(誰のベッドか定かでもないが・・・)
いつものTシャツとジーパンに着替える

人の気配がしない テーブルには鍵が置いてあった

S叔父さんは外出中であったみたいで・・・
オレはシャワーを浴びて 時間早めに 家を出た

期待と不安が入り混じった 初日を迎えたのである

S叔父さんの家は
駒込といっても巣鴨よりなので・・・
巣鴨の駅がもより駅である・・・

上野と池袋の間の街『巣鴨』は
繁華街でもなく 下町という感じも見受けられない
なんか中途半端な街という印象であった。


人のよさそうなおじいさん・おばあさん
会社帰りの人、スーパーの片手のご婦人
学生さん、そして怪しい呼び込みの人やアジアンなオトコ達が
家路やらなにやらで・・・駅前はにぎわっていた。

現在もおばあちゃん・おじいちゃんの原宿とまで言われ
土日はお年寄り天国の『とげぬき地蔵』と

当時は ネオンギラギラ
全国屈指のピンクサロンのメッカ(50店以上はあった)が
道路を挟んで対峙していて(今はピンサロも激減であるが・・・)

なんとも形容できない 

歩けば歩くほど 巣鴨は不思議な街という印象のイメージに尽きた

(さすがに今はなんとも思っていないが・・・)


6時が出勤時間ということなので
5じ30分にお店に行くと まだ誰もいないみたいで鍵がかかってあった。

5分くらい時間をもてあましていると
後ろから声をかけられた
『やる気マンマンだな おい』
昨日のホールの男の子が
にたついた笑顔で話し掛けてきた。彼は25歳
見た目もっと若く見えるが・・・精神的にも若そうな感じがした

彼の後について真っ暗な店内に入る・・・
店の電気を全開につけると、キラキラしたソファーとイスが
目立った、営業中のムーディーさとはかけ離れた 風景が
目の前に飛び込んできた。

席数は30はあるだろうか・・・15人のホステスに、ボックス以外の
丸イスまでいれると 20〜30人は座れるくらいの広さであった。

(ここをひとりでやってきたんだぁ・・・)

感心しながら 先輩を立ててみると・・・

『まぁ 入っても すぐ辞める ふぬけが多いからな この業界』
と得意そうに 返事が返ってきた

何の理由かはわからないが 1週間で辞める予定の先輩から
仕事の流れを教わった。おしぼりまきやら、グラスセッティング、
開店前の準備である。

7時が開店時間であるから15分前には着替えて臨戦体制に
なる。 何人が履いたのかわからない汚れた黒ズボンと
生地の粗悪な白シャツ、黒い蝶ネクタイを渡され着替えたオレの姿は
ホステス用 全身鏡で見る限り・・・

売れないコメディアンに見えた・・・滑稽である

選択肢のないオレは、違和感を覚えながらも
先輩に呼ばれ ホールまで呼び出された

トレンチの使い方と伝票とテーブル番を覚えさせられた
 その他最終確認である。

『とりあえず 笑顔は絶やさないコト 当たり前だけどな』
気楽に構えてと優しく くわえタバコで接してくれる先輩

がしかし・・・

セッティングされた灰皿を なんの気なしに使う 先輩に・・・

(もう営業始まるのに この人 だらしないな・・・)

出遭って 1時間 まだホステスどころか 調理スタッフも
レジさんも来ていない・・・この人と2人だけなのに

オレは直感的に

なにかこの店 雰囲気がおかしいと思い始めたが・・・

まったくもってスキルも経験値もないオレに
読み取れるスキルはなかった(続く)

第6話 統一感ゼロのホステス達

先輩ツラしているけど・・・
なんかだらしなく 仕事の覇気ない 先輩がしきるお店

(どうして ここでオレが働くのだろうか?)

S叔父に手伝ってといわれた時は、一緒ではないにせよ
少しくらいは 仕事のイロハくらいレクチャーしてくれるのかと
思いきや・・・結果はほったらかしで?

不安と不信感でありながらも もう後戻りの出来ない状況に
もっていかれたみたいだ
(いきなり 引継ぎなんて・・・)

7時 3分前 から8時くらいをめどに 続々と
ホステスさんが出勤してきた。

「挨拶」は人間としての基本なのに・・・
好奇な視線で見られているような気がした。

オレは 着替え終わった ホステスが待機しているコーナーに
今日から働くことになったことと挨拶をかねて自己紹介した

ここのお店のコは15人ほど
前にも書いたが、日本人・中国人・フィリピン人とまったくもって
バラバラなホステス達なのであった

オレは高校出るまで 東北の田舎で育ったので
実は「外人」としゃべったことが無かった
ひとりで緊張していたのだが・・・片言でも
日本語を聞いた時 少しは安心できた。

この日の口開けのお客さんは8時45分で
お客が来るまで、皆待機していて

その光景を眺めていたオレは
人種による国民性にカルチャーショックを受けた

日本人のコ達は 一目みて 皆若いコたちで・・・
専門学生といっていたが高校生でも通る感じがした

待機席では タバコを吸いながらバカ騒ぎしていた。 

フィリピンのコ達は みんな笑顔で話ししてくれた
しかも皆優しく 接してくれて

そのうちの一人は既婚者(といっても22歳)で
ファッション雑誌から飛び出たようなスーパーモデルのコで
このコの旦那は毎日 来店していた。
しかも毎日 フェラーリで送り迎え
毎日 家事手伝い というのはイヤだということ
自分で稼いだお金は送金しているのだろうか?

中国のコ達はなんら普通のコもいたが・・・

毎日指名もらっているYちゃんは明らかに プライド高そうなコで
まったくもって オレの言うことなどシカト

そんな人達の ホステスのラインナップで本当に困った。

当然そうなると 国ごとに派閥になっていて・・・

例えば団体のお客が来て 日本のコが4人着いて、残りのお客さんに
中国のコをつけようとすると拒否されたり

なんとか同席に成功しても
会話のキャッチボールなんかまったくなく

どっちかが歩み寄る状況がある訳もあらず

そんな理由からか ひとつのテーブルに
わけ隔てなく接客させることは 無理であった

そんなバラバラなお店なのに・・・
1日に20〜30くらいのお客さんが来店していた

その原因は「バブル突入時期」だだからとしか言いようの無い
好景気が一因だと思っている

そして あっと言う間に1週間が経ち 頼りない先輩は
気持ちよく去ってしまい オレがホールに一人という
最悪な環境に突入した。(続く)

第7話 度重なるトラブル

次の日・・・

ついに一人でお店を切り盛りしなくては
ならなかった。救いだったのが、皆勤怠がよかったこと
もし出勤関係になにかあったときは社長であるS叔父に
電話してやりとりをしていた
のでその辺の心配をしなくてよく
きっと その電話でお仕事のフォローもしていたのであろうと
推測される

ただし慣れてきても一人の仕事量には限界があった

それでも少しずつ やりやすくなった
変化があったのは、日本人のグループのコ達が
営業中はいろいろと自主的に仕事をしてくれたからである

最初はシカトしていた HちゃんもUちゃんも
心は開かずとも 少しずつだが、
赤の他人からお仕事の関係になってくれた

なんにせよ 窓口はオレ一人だから当然の成り行きといえば
その通りであるが・・・それ以前にまじめに仕事に取り組んでいる
姿勢が大事だが・・・

フィリピンのグループのコ達は ホント明るく
お客にもオレにも接してくれて
心底 いいコたちだなぁと思った 
今でもそのイメージである。きっとその頃は
「ジャパユキさん」ブームだったかもしれないが・・・

しかし 様々なトラブルも多発した

18歳ひとりVSお酒の入った 大人

下町のこの程度のお店
もちろん客層は決してよくなくて・・・

文句をつけられたら 最後

営業は止まってしまうダメージであった

殴られなかったのは運がいいとして
アイスペールを投げられたり
テーブルをひっくり返されたり

叔父が後ろ盾にいることと叔父のお店だからということで
なんとか 気を張って 営業したが

おかげで営業後は精神的にぐったりとしていた。

このときはホント つらい時期であったが
実戦ほど(仕事の)上達が早いというのは体で覚えた

そんな毎日であるから
月日が経つのも、異常なスピードで毎日が過ぎていった

この時点で自分に自信が持てたのが収穫であり

そして あっと言う間に 1ヶ月過ぎようとしていた(続く)

第8話 貸切
叔父さんは私が慣れてくると・・・
隣駅の系列店ばかり顔を出し こっちには全然足を運ばなくなっていた

そんな ある日 営業直前にTELがあり
『今日は10時から貸切だから・・・』とだけ言われた。

はたしてどんな人が貸しきるのであろう?
心配しながらも、営業が始まってしまったので
気がついた時には 10時に指しかかろうとしていた

その時である

店の前に何台かのフルスモークのベンツが横付けされ
いかにも 威圧感のあるダークスーツの集団がお店に乗り込んできた

そう今日の貸切のゲストは『ヤクザ』の団体であった

そこからの2時間は 生きた心地がしないくらい
 緊張しながら 対応していたと思うが・・・

記憶に残っていないので、トラブルとかにはならずに済んだと思う

それにしても 18歳の素人に20人くらいの不良の面々
そして15人のホステスの多国籍軍

思い出すのも寒気がする光景であった

そして その人達が帰り際に
叔父さんとオーナー夫妻が挨拶にやってきた

オレはこのとき働いてから1ヶ月目で 初めてオーナーに出会った

実はこの夫婦 後で知ったのだが『☆宿そだち』という
ヒットしたデュエット曲を歌っている 演歌歌手であった

何年か前 新聞紙で久々に2人を拝見した
刑務所や鑑別所など慰問チャリティーコンサートを行う
いいイメージ感のある2人だが・・・

このころはバブル経済真っ只中で・・・
奥さんは買い物やカジノで頻繁に韓国旅行に行くので忙しいらしく
さらに・・・雀荘に入り浸っていた夫婦であり
クリーンなイメージには程遠い(1発屋でも演歌歌手は食えるけど)
オレの中にはそんな人たちであった

3店舗をオレの叔父に任せて・・・そんな放漫経営は
数年後バブル崩壊で
真っ先にお店を閉めることになるのだが
店さえ開いていれば、お客が入る時代でもあり

芸能界もやっぱ付き合いでこういう人たちとも付き合いが
あるんだなぁと再確認した

明日は お給料日である
(続く)

第9話 転機

夕方 巣鴨の駅前から・・・田端まで歩き いつものように
お店に向かう
基本的には 下町なので、新宿渋谷に比べると 何も無い街

夜 営業中に叔父がやってきた。
叔父は3店舗の雇われ社長である
その昔 全国チェーンのキャバレーで営業統括部長をしていた
経験もあり、その社長からベンツをいただいたこともある
ヤリテな人物である。

その日 待望のお給料が渡された

身内といえども 使う方と雇われている身である
深々と頭を下げ、ホステスが周りにいる手前 トイレにて
給与袋を開けてみる・・・




(えっ・・・1万円札が13枚?)

最初 叔父さんは25万以上などといっていたが・・・
予想以上の少なさに 愕然とした

叔父さんに説明を求めると
税金やら住まわせてもらっている家賃まで引かれていて

いいように やられた そんな感じであった

確かに 遊びすぎで バイトもやめがちで借金もないが
手持ちのお金もないのは事実ではあったが・・・

身内ということで甘えたら・・・逆に仇となった

お店も売れているのに、この給料
ピンはね 以外何でもなく

確かにオレは悪友から環境を変えるべく
叔父さんを頼った 18歳の給料はこんなものかもしれない

しかし このお店の1ヶ月は 女性(ホステス)のわがままを
聞きまくり、お客さんのわがままにも耐え

学生時代 モテに持てまくったオレが
蝶ネクタイをしてニールダウンしている仕事の割には

納得できない 報酬であった

この時 叔父さんとの 関係を解消すべく
次の手をひそかに模索することを決意した。

第10話 苦悩の日々

それから 数ヶ月・・・
仕事を紹介された手前 すぐ辞めるわけもいかず

金銭的には不満であったが、なんとか仕事にも慣れてしまった

叔父は毎週 日曜日 なじみの雀荘で仲間内とマージャン・競馬と
忙しいみたいで・・・オレも誘われたのだが、断りつづけていた

(冗談じゃない、そうでなくても少ない給料なのに・・・
  カモにされるのは ゴメンだ)

結局 日曜は一人で 過ごすことが多くなった

そういえば 今までは一緒に上京してきた悪友とつるんでいたが・・・
環境が変わると 休みの過ごし方もだいぶおとなしくなってきたみたいである

このころはまだ、携帯電話も出てきていなく、ポケベルが流行っていた時代

孤独な日曜が過ぎると、またあの 酔っ払いどもと・・・
ワールドワイドな女性陣との一戦である。

場所も繁華街から少し離れている為、地元の人 常連客ばかり

確かに フリーのお客は少ないから、それはそれで 揉め事は少なかったのが
幸いで 今想うと あの頃 騒いだ客がいたら、オレも一緒になって
騒いでいただろう・・・そこまでのスキルは持ち合わせていない

うちのホステスはお客の悪口はタガログ語や中国語で
仲間内で話す・・・理解できない

到底 言葉の壁 どころの問題ではなく 心を開かせるのも無理であって
言いたいことは・・・言えず 大抵のことは 承諾してしまうので
とても 最初やりづらかったが、慣れてしまえば なんとかなってしまった
のが 驚きである。

ノリのいいフィリピンのコ達は別として、中国のコ達はプライドが高くて
苦労した

ただお客さん(日本人)を軽視している姿を観ていると・・・
やはり なんか仲間意識は持てない気がした

カラオケもあったのだが、忙しくなってくると、連荘で歌ったり
曲が入っているのに だれも歌わず とか めちゃくちゃであったが・・

なれない演歌やムード歌謡などを 歌わされ
チップをもらって喜んでいる 蝶ネクタイ姿の俺は・・・

売れない頃の 綾小路きみまろ とキャラがかぶっていたかも知れない
・・。

会計係はオーナーの知り合いの年配の女性・・・
フルーツ盛りで飾り包丁入れて 調理やパントリーで仕事しているのも
年配の男性で・・・あとは 白タクみたいな送りドライバーの面々

やはり 一人で 切り盛りするのは 大変であった

だが その『苦労は・・・・後々の財産になる』と誰かが言っていたが
そのときは 必死 以外なにものでもなかった(続く)

第11話 苦悩の日々中の 出会い

15人くらいの女性達は・・・ホント個性の集まりで

日本人のコ達は 18歳〜20歳で見た目的にも若く
こんな所で働くコ達であったから、仕事は一生懸命と言うよりも・・・
サークル活動のように 楽しんでいる コ達であった。

一方 中国のコ達は 皆 昼間は日本人学校に通っていて
日本での物価は 高い 高いが口癖のようなコ達の集まり

そして フィリピンのコ達は その多くが若いうちに
結婚していて(隠しているけど) その収入で家族を養っている

まさに3者三様で・・・
目的が違えば 明確に 頑張る努力の差が出ることを学んだ

このホステス達に (特に日本のコ)出勤確認するのも
自分の役割で・・・ただ中国のコやフィリピンのコ達の確認は
しなくてよかった(叔父に任せていた)

そして その頃のフィリピンのAちゃんであった
このコは毎日 真紅のフェラーリで送り迎え付き

この旦那と同伴(後に結婚したみたい)していた

スパニッシュ系の顔立ちと抜群のプロモーション
彼女は週2〜3 なのだが 彼女が出勤すると
常に5組〜10組の指名客が入るくらい 凄かった。

さすがに 東北の田舎育ちのオレは その美貌にクラクラしながら
働いていた。
岩手の盛岡では そんな素敵なコを観たことがなければ
ベンツも観たことがない   くらい 正直言って 驚いた
。まさにカルチャーショックでした。

叔父の知り合いのプロモーターが紹介してきたとのこと

やはりこういうお店は ハードよりソフト 
一人の いい女がいると お店の雰囲気が変わって 凄い盛況に・・・

オレも一目惚れしそうになりました、彼女の出勤日を意識してしまう
ほど 魅力的で美しい 女性でした。(続く)


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