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18歳で水商売・・・・・・エピソード1 (2003、8、27)



ちょっとシリアスタッチで宜しく!

やおきちは高校を卒業して 上京しました

遊びたい盛りだった俺は・・・・何のバイトも続かず・・
すでに一年が経とうとしていた。

『何のために、東京へ来たのか?』
まったく解らなくなっていた

いなかは本当に刺激的なこともなく、これといって就職もあまりなく、
高校が終わる頃には、理由もなく、東京に行こうと決めていた。
『夢と希望』くらいはあったにせよ・・『目標』がなかったのも事実で・・

しかし上京しても現実はフリーターで、その日暮らしだった。

警備員・居酒屋・工場・弁当や・何回もバイトを変え、『家賃3万円』を払うのも困難になっていた。
滞納が3ヶ月続き、お決まりのパターンだが、『出て行ってくれ!』ということになり・・・サウナやカプセル・ホテルに暮らしているうちに、『都会への憧れ』もさめていった。

相談する友もいない俺は、弱音を吐いて、『実家』に電話した。・・・
もちろん父は『すぐ帰って来い』といってくれた。勝手に飛び出した俺を・・・心配してくれていたのだろう。『帰ってくる前に、従兄弟がいるから、あいさつして来い・・』といわれた。

従兄弟が東京にいたのを・・・忘れていた!
電話番号を聞いて、すぐさま親父の弟にあたる、『従兄弟のおじさん』に電話をして、
JR大塚駅の喫茶店で、待ち合わせをした3時に逢うことにした。

電話をしてみたものの、まったくおじさんに対する『記憶』がなかった。
翌日、指定された喫茶店を訪ねると・・・
その喫茶店は、怪しい、なんという雰囲気か?
とても『昼間』の人々が楽しく会話でしていそうな、場所ではなく、ガラの悪さに驚いてしまった。

いかにも、『ソッチ系』の怖そうなオーラを漂わせている人々がいっぱいいる・・・

その中でも特に威圧感のある『パンチ』で金ジャラで・・・それが、叔父さんだった。

記憶にはないが、俺が小学校一年の東京から家族で転勤(夜逃げ?)するまでは、
よく逢っていたと、語っていた。その日は叔父さんのマンションで食事をしながら、
上京してからの『経緯』を話した!『明日にでもいなかに帰ろつもりなんです。』
といったら、『じゃ・・明日から、うちで働けば?住まいはここでいいから・・・』

叔父さんは、パブクラブを3軒まかされている仕事をしていた。
あてもない俺はこうして『水商売』の道に入ってしまった。これがスタートである。

このお店は本当凄いお店だった。

紹介された店舗には、スタッフが1人(しかも調理スタッフ)で・・・・・

頼りの叔父は違う店舗の方に行ってしまうし・・・

それなのにホステスが20人も居る

さらに、肝心のホステスさんは、
日本人・フィリピン人・中国人と仲良く人数が3等分されていて(もちろんそんなこと聞かされてなく・・・)

『凄いところで働くことになったなぁ』自分でもびっくりしてしまった。

なんの知識も経験のない俺が務まるのか・・と思ったが、
困ったら、叔父に助けてもらえると考え、一人で、はらをくくってしまった。

国が違えば、性格も全然違う・・・営業中は、ホント大変だった。
時間になれば、客を置いて立ち上がり、勝手に帰り支度をする・・中国人ホステス
『あと5分でお客さん帰るから・・・それまでお願いと頼んでも』
『契約は12時までだから、5分間の残業代をくれって言ってくるし・・・

フィリピンのホステスさんはカラオケ歌うと、止まらないし(笑)
あまけに。そんな彼女目当てにくるお客さんは、『怪しい』ひとばっかりで・・・

日本のコはなにしにきているんだっ!っていう感じでヤル気などまるでなし・・

そんなオンナのコたちの強調性はまるでなく、もちろん俺の指示なんて聞いてくれなかったが

(なんでこんなめちゃくちゃなのに・・営業しているのだろう?)
後で知ったことだが、オーナーの節税のために趣味で開いたお店といっていた。

まだバブルの頃で、お店さえ開いていれば、なんとかなっていた時代である。

18のガキでもなんとか、切り盛りできた・・・・(今では考えられない)

しかしここのオーナーは、今思うとふざけていた!

いつも雀荘で遊んでいて、奥さんは『韓国』に買い物ツアーばっかりいっていた。

叔父さんにすべてまかせていたのだろう・・・

叔父さんは30歳くらいの若い頃に・・
潰れそうなあるキャバレーグループの再建に力を入れ、
努力が認められ、オーナーから、個別に『ベンツ』やそれ相当の地位をもらった、
やり手であった。俺が働いている、以外の2店舗は、結構利益がでていたみたい。

そんな俺が・・・

お店をやめる決定的な事件は、仕事に慣れてきた頃、突然訪れた

『今日、20人くらいの団体がくるから、『売り掛け』(あとで会計をもらう、つけ)で
やっといてねっ!』叔父さんにいわれた。

どんな団体かと思ったら、やっぱり予想していた通りだった。

お店の前に黒塗りの車が続々と集まってきた。

思いっきり『やくざ』だった。ほぼ貸切の2時間は、

なんと店のスタッフは俺だけ!!生きた心地はしなかった。(悲)

あんなつらい思いをして、おまけに(つけ)で、いっぺんに働く意欲がなくなってしまった。

それプラスして叔父さんに家賃を負担といわれ、給料はピンはねされ、

そんな時、お店にいたコが、池袋にいいお店があると

紹介してくれた。叔父さんに別れを告げ、その年の冬、お店を辞めた。

翌年、そのお店は、スタッフも集まらず(たぶん働いても続かないだろう・・・)
ホステスもどんどん他店に移り、潰れてしまった。

これが『水商売』のスタートだった・・・最悪だなぁ

終劇

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